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ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16は、セルゲイ・プロコフィエフが1912年末から1913年4月にかけて作曲した2番目のピアノ協奏曲。 == 概要 == プロコフィエフは1912年にピアノ協奏曲第1番を完成し、自らのピアノ独奏で初演してセンセーションを巻き起こしていた。第2番は第1番同じく音楽院時代に書かれたもので、1912年の末から1913年の4月にかけて作曲・完成された。 初演は1913年の夏にパヴロフスクで行われた演奏会で、プロコフィエフ自身のピアノ独奏、A.P.アスラーノフの指揮で行われたが、これは第1番以上にさらに大きな騒動に発展した。初演後の『サンクト・ペテルブルク新聞』の欄には悪意に満ちた記事が掲載されたが、対して批評家でプロコフィエフの擁護者であったヴャチェスラフ・カラトゥイギン(''Viatcheslav Karatygin,1875-1925'')は「10年後、聴衆はこの若い作曲家の天才に相応しい万雷の拍手で、昨日の嘲笑の償いをしたくなるであろう」と評している。また1914年にロンドンでセルゲイ・ディアギレフと会った際にこの曲を目の前で弾いて見せ、これが契機となって『アラとロリー』(スキタイ組曲)や『道化師』などの作品が書かれることになった。 この作品の初演時の版はロシア革命の混乱の中で失われており、プロコフィエフは1923年、ドイツのエッタルに滞在中に記憶をたどって総譜を復元・改訂している。この改訂版は1924年8月5日、パリにおいてプロコフィエフの独奏、セルゲイ・クーセヴィツキーの指揮で行われた。現在演奏されているのはこの改訂版であるが、最初の版より穏健になったと推察されている。 第1番で見られたモダニズム的傾向がより押し進められている。またピアノは終始支配的であり、管弦楽は伴奏に近い役割が与えられている。第2番は構成的に見て、スケルツォと間奏曲を中間楽章に挟んだ4楽章制としているうえ、内容的には前作に増して野生的で且つロマン的楽想、グロテスク且つ複雑なダイナミズムによる表現、超絶的技巧など大胆で斬新なアイデアを取り入れた野心作となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノ協奏曲第2番 (プロコフィエフ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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